姫野カオルコけんきゅう室

姫野作品の末枝に勝手に迫る!


「ヒメノ式文学と装丁」

 
 

「ヒメノ式文学と装丁」

 
 「ヒメノ式文学と装丁」 
(山羊さん寄稿 12.11.19 up)
本は勿論、内容ありき。が、未読の作家の本を購入する過程では、 
装丁、惹句(帯)、解説(文庫の場合)にも頼ることが多い。 
本の顔として書店に並び、意識せずとも目に入ってくる装丁は大事だ。 
本を選ぶ決定打になることは少ないのかもしれないが。 

活字には、読んでいる人に画像を浮かび上がらせる力がある。 
だからこそ、小説のドラマ化、映画化などで 
「ミスキャストでは?」と、言いたくなることがあるのだ。 

逆に装丁でのイメージを頭に浮かべたまま、本の一頁目を開く事もある。 
明らかな期待(こんな筋であろう。)までは、思わないにしても。 
 

アイスコーヒーだと思って口に入れたら、めんつゆだった経験ありますか? 
本の装丁や惹句は、内容を引き立てる、若しくは簡潔に表す入れ物である。 
入れ物と内容とが著しくかけ離れていたら、手にした人間の驚きは大きい。 
勿論、良い意味で裏切られる場合もある。しかし、その装丁の持つイメージが 
好きで購入した場合、驚きはマイナスへ働く方が多いだろう。 

「不倫レンタル」のイラスト、装丁は、初版(青)・重版(赤)の2バージョンある。 

青版のイラスト装丁は、作品として見ると良いが、内容との相違が大きい。 
「不倫とみんなは言うけれど、知り合ったのが遅かっただけ。切ないわ。」といった小説が好きな人が、手に取ってしまいそうだ。 

それに比べ、赤版は「ヒメノ式文学」のイメージに沿う装丁となっている。 
「不倫」と書いてレンタルと読む、姫野先生のセンスを簡潔に表し 
作品の中にあるユーモアをも、感じさせるつくりになっている。 

□ 


「ヒメノ式文学」を求めつつ、まだ知らずにいる人は、沢山いると思う。 
その人たちに、より効果的にアプローチする手段としてのイラスト、装丁は 
どんなものなのだろうか。 
また、既に姫野先生の作品を愛読するものにとって、「しっくりくる」装丁とは 
どの作品なのだろうか。 

私は、イラスト水谷嘉孝、装丁原研哉のコンビが、 
一番「ヒメノ式文学」を上手く表しているように思う。 
「喪失記」(福武書店)「受難」(文藝春秋)は共にこのコンビによるものだ。 
それぞれ、白に赤い紐で括られている表紙となっている。 
「喪失記」では贈り物に使われるようなリボンがねじれた状態で、 
しかも、簡単にはほどけないような「かた結び」で、描かれている。 
「受難」では硬く細い紐が皺が寄るほどにきりきりと締められている。 
こちらも、そう簡単にはほどけそうにはない。 
同じ動作(紐で括る)であり、同じく容易に解くことを拒む絵の表紙であり、 
共に、色数を極端に抑え、緊張感のある装丁であるが、 
ふたつの小説の持つ印象の違い、性質を浮かび上がらせている。 

それぞれの表紙は、私が説明するまでもなく、主人公の姿を表したものだろう。 
ふたりは悲しく痛く愛しい。 
理津子、フランチェス子は、共にキリストの教えを守って生きている。 
キリストの教えから派生した、自分が作り出した戒律で、 
自分を律する。 

「受難」が幸せな終わり方をしているのを別にしても、 
同じように自分を律するふたりの女性から受ける印象は、多少違う。 

それは、フランチェス子が、現実には有り得ない状況に見舞われ 
悲しさの中にある滑稽さ、滑稽さの中にある悲しさを体現しているからだろう。 
その「滑稽と悲しさ」が極端に引き絞られた「受難」の紐に通じているのかもしれないと思い、 
理律子が自ら歪めたと言うキリストの教えを、ねじれたリボンに見るのは短絡的だろうか。 

「サイケ」の表紙はこのコンビのものではないが、大好きな表紙だ。 
姫野先生自身も話し合い、装丁の決定まで苦慮されたというだけのことはある。 

今まで、私が漠然と抱いていた「姫野作品の装丁」は 
優しさと厳しさであり、潔さの中に見える複雑な深さだったが、 
その印象を継承しつつ、なおかつインパクトのある表紙だと思う。 
「サイケ」という題名から何を想像するかは、 
性別、年齢、その時に自分のいた環境によってまちまちだろうが、 
表紙、中の装画、カバーをはずした本体の全てに、 
誰もが、あの頃の空気を感じさせられるだろう。 
それでいて、古臭さを感じさせないのは、現代的なシャープさで処理されている 
からだ。 
帯を巻いた状態、はずした状態、どちらの場合もバランスが良く 
帯の太さ、帯の文字の色に至るまで、工夫された作品だ。 
 

目に止まりやすく、かつ内容をイメージさせ、作品へとスムーズな橋渡しをする 
装丁は難しい。 
同じ作品でも単行本、文庫本の大きさの違いによって、 
どのイラストをどのようにデザインするかも、変わってくるだろう。 
装丁者は作品としての小説(エッセイ)を大切にしまう箱を作るべきだし 
甘いデコレーションケーキの箱に、上質の「このわた」を入れるべきではない。 
読者としては本を手に取る時、中に入っているものに期待を込めて 
箱の蓋を開けたいと思うのである。 
 

 (by 山羊さん 12.11.19 up)
 *山羊さんから素案を頂き、メールの往復で文案しました。はやしなつせ 
 

 
さて、『サイケ』の装丁をしてくださった原口健一郎さ 
んからメールがとどきました。 
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山羊さんのご意見、ディープな姫野さんのファンから 
お墨付きをもらった様で嬉しかったです。 
ホッとしました。 
原口健一郎 
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(姫野さんの掲示板書き込みより)

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喪失記単行本表紙 受難単行本表紙
(福武書店) イラスト水谷嘉孝
装丁原研哉  (文芸春秋)
 
 
 

 

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