女子高校生の回覧ノートの一文からこの小説は始まり、すべて手紙文のみで構成するという実験的手法が用いられている。地の文はまったくない。「あしながおじさん」のような日記的記述も極力排されている。
高校の同窓生である男女4人を中心に、たくさんの登場人物たちのそれぞれの出会いと別れが手紙文のみで描かれる。彼らがお互いに交わす手紙やFAX、そして出さなかった手紙。彼らは何を思って手紙をしたためたのか、行き交う手紙と手紙の間に何が起こったのか、行間から溢れる上質な恋愛模様と青春成長小説の世界を想像する楽しみは、活字でしか成し得ないことだ。一見何気ない手紙のやりとりに、どれほどの想いと個性と物語を封じ込めることができるか驚くほどである。
手紙のやりとりから浮かび上がる、すなおで優しく女らしい、自然体の、普通の、ごく普通の女の子達の、かわいらしさや狡さ、たくましさ、また男の子達の青さや愚かさ、そして男らしさは、私にもあった「あのころ」、「あの手紙」を思い出させて胸を切なくさせた。また、主役たちだけでなく、ちょっと屈折があったり個性的であったりする脇役の男女にもそれぞれの幸せな居場所が用意されているのも楽しい。
この手紙文のみの作品は、電子メールという新しい文章のツールを使う私達にとっても魅力的である。そして、心をぎゅっとつかむラブレターの例文集としても使える青春小説の佳作である。
普通の女の子、悦子が主人公だ。その他の女の子もその辺にいそうだ。優子と黒田あゆ子にやや、カオルコ的おもかげがあるだろうか。
青春恋愛小説として十分に面白い。コバルト文庫で出してほしいくらいだ。しかししかし、この普通の女の子達の手紙はどうだろう。普通の女の子が男の子にあてて書く、普通のありがちなお手紙にすぎない。しかし、きっと本人にとってはなかば無意識の、ずるさ、誘惑、いやらしさや賢さが浮き彫りにされているではないか。桜井さんの手紙でさえ、上手に誘っている。
姫野カオルコの筆致に意地悪さや皮肉な視線はない。ただ淡々と「かわいらしい、女の子らしい手紙」が書きしるされ、交わされるだけだ。だから読んでいてイヤな気持ちにはならない。イヤにはならないが、しかしこんなのに乗せられるなよな、青いぜ。とかいいながら、実際はついぐらりとくるのだろうな。
と思ったでしょう、あなたも。
姫野カオルコを読んだ女は、もはや無自覚に「清潔な色気」を演出できない。
姫野カオルコを読んだ男は、もう「普通」の女と「つきあう」ということができなくなってしまいそうだ。
ちょっと心配なのは、こういう手紙をごく普通に書いてしまう女の子達がどう思うかだ。「この本は、姫野さんはなんかイヤ」と思ってしまうのではないかな。意識したくない痛いところをつつかれるようで。
姫野カオルコにブレイクして欲しい私としてはなあ。
でもいいのだ。普通の恋愛小説の世界を生きる人には「レンタル”不倫”」や、「受難」などの姫野カオルコの長編はわからないであろう。だから、たまたまこの文庫本を手にしたところで、姫野カオルコの読者にはならない。だからいいのだ。
ロマンス派の恋愛小説・エッセイを、「いいなあ」と思う。
もうちっとモテてもいいような気がする。
部屋の電話のベルはめったに鳴らない。
今日「ひとり」で本を読んでいる。
さびしくなんかない。
そんな「非ロマンス体質」のわたしを癒す1冊でした。「喪失記」。
読む人を選ぶ本かもしれない。でも、実は「非ロマンス体質」(「反」ではなくて)の人って多いと思うのですが。もうちっとモテてもいいような気がするが、いまひとつ異性に対する自信がないひとは確率高いです。
長い長い間に自分への自信を少しなくしてしまっていたことをみつめる作業がカタルシスになる、かな。自分の本当を認め、閉じた世界から一歩前に踏み出すきっかけを作る物語です。感じたことを持って自分の現実に戻っていき、もっとクリアな現実を捕まえたい。
重いという人もいるそうですが、私にはハッピーエンドの物語と読めました。
なお、この本でシンクロしたあと、同じ著者の「レンタル”不倫”」(角川書店)を続けて読むと、中島みゆきに続けてワーグナーを聴くような読書療法(?)効果があり、街へ出ていく元気が出てきます。
*:「ドールハウス」(角川文庫)との三冊で処女三部作を構成している。
( 99/04/20)
筆力には定評のある著者(未婚の美人だ!)が結婚にまつわるイロイロについて考えてみたエッセイ集です。まじめなのにオモシロイというか、オモシロすぎるほど直球勝負というか、ノンストップで読んでしまいました。ああ、もったいない。
単なる読み物としてもサービス満点で大変大変たのしい。しかし、結婚と幸せの本当について考える女性には必読の書です。もちろん男性にも。考えてしまったものはしょうがない。みんなしあわせになってね。
大笑いさせながらも奥が深い考察を展開する力技は、さすがというほかありません。そこいらの「ロマンス派の恋愛ものエッセイ」とはふた味違います。真っ当で、まっすぐなまなざしで見つめ、紡がれるヒメノの世界。一度知ってしまうともう♪。
まっすぐすぎて、対象の本質の向こうまでも突き抜けてしまうような視線と文章芸が魅力です。どうしてだかもう結婚してしまっている昭和35年生まれは、「今更深く見つめるのもなあ」とちょっと苦笑いしたりもするでしょうね。でもでもおもしろい、そして再読に耐える、本棚にキープの一冊でした。
(99/04/20)
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