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姫野カオルコ さん インターネット寄稿 

 

 著者写真

 第二掲示板のジキルさんの67番の書き込みで思い出したこと

          2001・5・3      姫野カオルコ



 エッブマスタ注(↑ 69番ではないか?)
 「第2掲示板:ネタばれOK掲示板」より
>69  ちょっとネタばれ  ちょっとした謎? ジキル   2001/05/04
>        「ガラスの仮面の告白」 

> え〜、これがネタバレにあたるのかわからないんですが、
>「ガラスの仮面の告白」角川文庫に著者プロフィールが
>載ってます。で、そこにわざわざ「女性」と書いてあったり、
>趣味「盆踊り」となってたりするんですが、(オバQ音頭が
>好きってことは知ってますけど)これはいわゆる洒落っ気
>なのでしょうか? 
>
>それと、この本だけ著者の写真が違いますけど・・・。 
>

略歴に「女性」とか「盆踊り」とか入っているのは
担当編集者(『ブスのくせに!』P136の人)の、たんなる趣味です。
 

さて、著者写真について、思い出したことがありましたので、
ここにまとめてみます。

『ガラスの仮面の告白』は角川文庫に一番はやく収録されたので、
版を重ねていますが、何版かまでずーっと著者写真は入れませんで
した。

『ガラスの仮面の告白』にかぎらず、私は著者写真というのを著書
に入れるのを、ずっと拒んできたのです。

著者のすがたかたちなんか、読者が読書をするさいにさまたげにな
る、と思って。
イマジネーションのさまたげになるような気がしてね……。

また「著者は目立たずにいて、文章だけが目立ってほしい」という
のが、私の虫のよい望みでしたので。

だが、あるときから入れるようになったのは、文庫『ブスのくせに
!』のあとがきにあるとおりの理由からです。
「ぶさいくだろうが、きれいだろうが、本を手に取るとき、本を書
いた人のすがたかたちがわかったほうが、消費者はその本を近しく
感じるんだよ」と指摘されたから。

それと『ガラスの仮面の告白』については、もうひとつの指摘をす
る人(複数)がいたから。

『ガラスの仮面の告白』を読んだ90%の人は、
「ああ、この人はナンシー●さんのような外見の人なんだな。それ
でモテなくて、でもこんなに明るく元気なんだな」と読むはずであ
る、
という指摘。

 複数の指摘者たちは、表現はすこしずつちがえども、次のように指
摘をつづけました。

「はじめて姫野さんに会った次の日、○○さんに会ったんだけど、
(注/○○さんは、小説とはいっさい関係のない雑誌の編集部の人)、
昨日、ヒメノカオルコに会った、って言ったら、○○さんはすかさ
ず、〃へえ、あの人、ほんとにすっげえデブブスだった?〃って言っ
てた」

「あの本は、べつに〃モテたい〃という望みがかなわない人の話でも
ないし、逆にセックスしている人に怒っている話でもないし、

ただ、なにかさいしょにつまずいている人の話で、そのつまづきの中
には、ジェンダーについてのものもある、っていう話なのに、
こうした外見を想像して読まれると、根本的にあの本を誤読させてし
まうよ」

「いままで姫野さんの周囲の編集者が、このことに気づかなかったの
は、あの本をちゃんと精読したか、もしくははじめから姫野さんを知
ってて、よく話したりしてるからだよ」

「そういうわけで、あれは写真を入れたほうがいいよ」

私はふしぎでした。
だって『ガラスの仮面の告白』にはちゃんと、

「私の外見はふつうである。牛肉で言えば並である。
ワッとふりかえる人もいなければ、オエッと吐き気をもよおす人もいな
い。十人並みと、平凡なふつうの人間である」

というようなことを明示してあるじゃないか。

「いやいや。そんなの、読みとばすんだって、それこそ、ふつうは。
牛肉で言えば並、という表現は、
ああ、この人はブスなんだ、って思うんだよ」
 

おかしい。
いまだに私は納得できてません。
『朝日新聞』の「天声人語」を要約する練習問題をやってみなさい、と
言いたくなるけど、たまたま、

柔道のヤ○○さんは「わたしはキレイではないけどかわいい」と信じて
いられることで男性をひきつけるのだ、フェロモンというのはそういう
ものなのだ、
美人というのは外見のことではなく「ワタシは美人だと思い込めるかど
うか」なのだ、

ということを考察していたときだったので、とりあえず写真は入れるこ
とにした。

といって、ナスターシャ・キンスキーに「お願い、私になりすまして」
と頼んで、彼女の写真を入れるわけにもいきません。
もし私がナタキンのような外見をしていたなら、写真一枚で読後の印象
はまったくかわるのかもしれませんが、
私の本には私の写真を入れるしかないのです。

一般的に「著者写真」というのは鎖骨から上くらいの顔写真が使われま
すが、『ガラスの仮面の告白』では、ももから上くらいがぜんぶ入って、
シルエットがわかるような写真を選んできました。

               ※

でも、やっぱり著者写真を入れるのは、どうも抵抗があって、それで、
うつむいているやつを選んだりして、うやむやになるよう工夫してるい
る今日このごろ……。

エッセイは、小説よりは顔を出しています。
エッセイの場合は「おしゃべりしている」という感じが、読者と著者の間
に生まれた方がよかろうという編集者との打ち合わせの結果の判断です。

そのさいの写真選びの基準は「ともだちになれそうな人」という印象を与
えるかどうか。

自分では、鼻の穴を指で上向かせてる写真が好きなのです。『ドールハウ
ス』にはそれを使おうと思ったが、が、著作権の問題(本職のカメラマン撮
影なので)があるのと、

ある年配の作家の方からアドバイスの手紙をもらったので、使用しないまま
でおります。
「こんな写真を公開していると、作品のなかみを誤解されてしまいます。あ
あいう話を書く人に思われませんよ」という手紙でした。

著者写真って難しいですね。
その写真一枚で、イメージが左右される。
五木○○先生は「写真にすごくうるさい」と編集者の間で有名ですが、私は
あたりまえだと思う。

ナルシスティックな理由でうるさいように思っている編集者は、ビジネスと
いうものがわかっていない。
イラストや詩、音楽は、見て聴いて、すぐ中身がわかる。
漫画も、比較的、読むのがはやい人が多い。中身がわかりやすい。
けれども小説は、ほんとに読まないことにはわからない。
そして、動いているところを一般に公開する機会が小説家には少ない。
としたら、商品としてのその本を、どれだけ消費者が買いたくなるか、を熟
慮するのは、ビジネスマンとしてあたりまえではないですか。
当然、写真についても神経質になると思うんだけど、それをナルシスティッ
クな理由によると感じるのは、あまりにもビジネスマンとしての技量に欠け
ている。

雑誌で取材を受けた芸能人が、掲載される写真についてうるさく言うのは
「あたりまえ」とするのに。
専用のスタイリスト、専用のヘアメイク、専用のマネージャーさん、とき
には専用の美容形成医がいる芸能人が、写真についてうるさく言うのが
「あたりまえ」で、ひとりで自前の服を着て、自前の顔で自前のヘアメイ
クで雑誌取材を受けた小説家が、写真について神経質になったら、
「芸能人でもないくせに」と思うのはヘンではないか?
すべて自前なんだから、写真は慎重に選ぶ、のは「芸能人でないならあた
りまえ」と思うのだが。

というわけで、著者写真というものは難しい、という話でした。

               ※

〈以下は余談です〉
 

実は化粧がすごく好きなんです。
ファンデーションを水スポンジで塗るときの、あの「化粧してる♪」という
かんじが。
赤い濃い口紅を塗るときの「装いをしている♪」というかんじが。

なのに、化粧をするとすっっごく評判が悪い。
それに一時間ほどたつとかゆくなってくる。
なので、化粧しない。
1) 顔を洗う→2) スキンローションをつける 
これでフィニッシュ。2ステップ。

たまに、2のあとにするのは、3) 眉を塗る。
眉がしらと眉尻の、毛の不揃いなところを、眉ブラシで整える。

現在、流通している拙著のうち、写真の入ったものは、すべて、3までの作業
のものですね。

かつて神田三省堂書店で、一度だけサイン会をしましたが、あのときも、3ま
ででした。失礼しちゃうわねですよね、簡単な身支度で。

ファンデーションを塗って口紅もしてるのは、アラーキー撮影のものだけで
す。そののち河合奈保子ちゃんと結婚することになる(そのときは独身だった)
ヘアメイクさんがほどこしてくれたメークであります。
髪はロングヘアだった。それをたばねて、なかにいれ、カツラをかぶっている。

愛用のスキンローションは、通販のオルビスのもの。
もう十年来、これです。

最近、いいものをみつけた。
ちふれ、下地クリーム(450円)。
これをつけると、ファンデーションを塗ったようになる。
しかもテキトーに塗ったのでも、うすくしかつかないのでヘタな人でもうまく
塗れる。
でも、やっぱり3時間ほどするとかゆくなる。残念。  
                    text 姫野カオルコ
 
 

 
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